東京オリンピック2020+1近代五種のメディカルスタッフとして参加して! 

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思えば、私が小学校3年生の頃です。母に連れられて聖火ランナーの引継ぎ地点へ見に行ったのが、オリンピックの思い出です。マラソンのアベベ選手・柔道のヘーシンク選手・陸上100mのヘイズ選手・体操女子のチャスラフスカ選手・水泳のドン・ショランダー選手ら世界の強豪を目の当たりにして、TV(もちろん白黒TV)に、かじりついて見ていたことが、ついこの前のように思い出されます。それから57年の歳月を経て、今度は自分がメディカルスタッフとして近代五種を支援することになりました。

コロナ禍1年延長され、まだまだデルタ株の感染者が増えているさなかの開催です。医療人としては、延期して欲しかった。何故なら、選手や大会関係者・各種ボランティアの人々のワクチン接種が不十分だった事、この暑い夏に何故開催されなければならなかったかも問題でした。無観客試合となり、我々医療スタッフは、大いに助かりました。もし有観客なら、観客の熱中症対策でメディカルの対応が大変だっただろうことが予想されたからです。我々は選手とその関係者の対応だったのですが、多分応援要請がきていたかもしれません。オリンピックの開催をなんとか乗り切りましたが、コロナ感染状況は相当に逼迫しています。もし、観客を入れていたら、今以上のコロナ感染が起きていたでしょう!

 さて、オリンピックでのメディカル活動ですが、フェンシングで室内ステージ(高さ50㎝くらい)からの転倒、乗馬での落馬がありました。が、さすがにいつも鍛えている選手たちです。大事に至りませんでした。それよりも、我々メディカルスタッフや運営スタッフの方が、屋外での熱中症対策で、おたおたしていたのが現状でした。

 ここからは、ちょっとした裏話です。

・アクレディテーションカード(通称ADカード)やユニフォーム一式は、一般的には大会運営事務所まで取りに行かなければなりませんでした。なので、地方の人はいったいどうしていたのか!?一部の人(私を含む)は当日支給となり、なかにはサイズがないものまであったりと、戸惑いました。事前にサイズ指定していたにもかかわらず!

・医療ボランティアや一般ボランティアは、あらかじめ指定された研修を受けなければなりません。中でもeーラーニングは、総時間数にすると3時間くらいかかるもので、それが開催3週間を切るころにやっと送られて来たりと、本当にバタバタの状態でした。

・我々ボランティアの受付場所は、どこの会場でもそのようでしたが、遠回りして行かなければならず、東京スタジアムの場合、最寄り駅の京王線飛田給(とびたきゅう)駅から徒歩30分弱のところにありましたので、毎日かなり歩きました。しかも、スタジアムは広いし!ちなみに、初日私を案内して下さったボランティアの方は、1日4万歩!も歩いていたと話してくれました。

・近代五種の競技には水泳がありますが、東京スタジアムでは直前まで、サッカーやラグビーが行われていて、撤収作業と同時にスタジアム内に25mプール(6レーン)の設営にとりかかり、実質2日で組み立てたそうです!!!そして300mほど離れた武蔵野の森サブアリーナのプールから、消防用ホースを使って1日かけて水を入れたという話でした。日本の技術力に感激しました。

・フェンシングは、前日に参加選手36名による総当たり戦でまず順位を決め、当日は、下位の選手同士から対戦していく下剋上の戦いが、メインスタジアム前で行われます。ここでも少しですがポイント加算されます。そこは屋外ですので、暑さで辛かったでしょう!

フェンシング総当たり会場
フェンシングボーナスポイント会場

・乗馬の障害は、事前にジャンピングテストといって、厩舎の方が前もって障害を飛んで馬の様子を見ます。この時点で、障害の両サイドに飾ってある“大きなだるま”に反応!小さいものに変更。世界中に中継されるため、日本色を出したかった運営側の気持ちもわからないわけではありませんが、馬には通用しませんでした。

当日(女子決戦)は、一時雨がざっと降り馬場が荒れたり、今度は太鼓の模様が“大きな目”に映ったのか、障害の前で止まってしまう馬が出てしまったりして、乗馬で点数が開いてしまったようです。

また、乗馬は正装に近い服装(長袖のジャケット・ブーツをはかないといけない)に着替えないといけないので、蒸暑い中大変だったと思います。

・我々は、医療スタッフです。そこには、IOC(JOC)から送られてきた救急バッグがあり、その中のものしか使えない状態です。

特に、薬はドーピングの関係があるので従わざる負えませんが、最前線でも医療室にも歯科用ミラーもピンセットもありませんでした。

他の競技会場でも、歯科用器材(スーパーボンド・固定用レジン・重合用光照射器等)が揃っていなくて、急遽手配してもらっているメールが何回かありました。

 また、白抜きでMEDICALと書かれた赤いビブスを着た我々は、むやみにカメラの前に出ていかないように、クギをさされました。明らかに緊急と思われる時(競技場内からはバックボード等に選手を乗せて、2分以内に出ないといけません)以外は、競技審判員の指示があるまで、競技場内に入れません。(ここまでは、ごく当然のこと)選手たちがゴールしたあたりでは、この暑さで熱中症を発症しかかった場面が他の競技でも起こりましたが、メディカルが出ていくのは選手の状態を見極めて出ていかないといけないのです。それ以外は、一般のボランティアが水を渡したりしていました。

メディアは、最初コロナ禍の開催に焦点を当てていたのですが、こんな暑い日程を組んだIOC(JOC)を「それみたことか!」と糾弾しようと、方向転換してきたからです。

このように、実際に現場にいないと知れないことがたくさんあって、そういう意味では、一生の思い出を貰いました。また今回、このコロナ禍。参加された選手たちをはじめ、大会運営に関わったボランティアの方々の奮戦には、頭が下がる思いです。

ありがとうございました。(ONE  TEAM!)

追伸:オリンピック終了後、診療室にユニフォーム等を飾ってみました!でも、意外と患者さんには、スルーされました(笑い)

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