紛争とスポーツ

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6月27日月曜日から私が楽しみにしていた、全英ウィンブルドンテニス大会が始まります。テニスの大会の最高峰で全米、全仏、全豪と並ぶ4大大会の一つです。

しかしこの大会、始まる前からメディア、選手たちなどから多くの議論を呼んでいます。ロシアのウクライナ侵攻の制裁としてロシアとベラルーシの選手の出場を認めないという決定を下しているのです。ウィンブルドンに先立ち、5月に行われた全仏、ローランギャロスではロシア、ベラルーシの選手は国旗を提示しないなどの一定のルールの中での出場が認められていましたが、全英では出場さえ認めないという異例の措置をとることになってしまったのです。「このような不当かつ前例のない軍事的侵略の状況下で、ロシア政権がロシアやベラルーシの選手の参加によって、何らかの利益を得ることは容認できない。したがって、私たちは遺憾の意を表明し、ロシアとベラルーシの選手が2022年の同大会にエントリーすることを拒否する」と公式発表しました。 また、男子プロテニス協会のATPと女子テニス協会のWTAはウィンブルドンの声明発表と同日に「2022年大会のウィンブルドンでのランキングポイントの廃止」を公式に決定しています。

このことも含めて、令和4年6月18日の朝日新聞、オピニオン&フォーラムでは「紛争とスポーツ」というタイトルで記事を載せています。戦争のもと、競技活動が困難になっているウクライナ選手たち。多くの競技で国際大会から排除されているロシア選手たち。国家の責任を選手が負うべきなのか?選手個人の選手生命を考えると制裁は過酷なことなのか?国威発揚のナショナリズムの道具としてスポーツが使われていいのか?スポーツの力を発揮して平和への道しるべを作ることができるのか?

とても難しい問題です。

かつて、スポーツはナショナリズムの道具として使われてきた歴史もあります。一番大きなスポーツの祭典であるオリンピックでも何回にもわたって、政治的理由でボイコットや開催中止が繰り返されてきました。最近では1980年のモスクワオリンピックではソ連のアフガニスタン侵攻に反対してアメリカをはじめとする多くの西側諸国がボイコットし、その次の1984年ロサンゼルスオリンピックでは逆にアメリカのグレナダ侵攻を理由に東側諸国がボイコットしています。オリンピック憲章には「オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない」とはっきり書かれているにも関わらずです。

 

テニス界では今、男子のランキング1位はメドベージェフ選手。ロシアの選手です。今回のウィンブルドンには出場できません。彼に何の罪があるのでしょうか?彼の日々の血のにじむような努力はロシア人であるというだけで無駄になってしまうかもしれません。けれど、もしウクライナの選手とロシアの選手が実際に戦うことになったら、私たちは普通の観客として応援することができるでしょうか?

私たち観客でさえそうなのなら、選手たちはどうでしょうか?勝負には必ず勝者と敗者がいます。その時にグッドルーザーとして勝者を心から称えることができるでしょうか?ロッカールームで、試合会場で、両者が握手したりおしゃべりしたりできるでしょうか?もともと仲の良かった選手同士だったとしてもその友情は続くのでしょうか?

とにかく戦争、紛争が早く終わってほしい。平和な世の中で多くの選手、人々がスポーツに勤しんでほしいと思うばかりです。

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